心のもち方で変わる人生☆
先日は思わぬ春の大雪となりましたが、お障りなくお過ごしでしょうか?
皆様におかれましては、益々お元気でご活躍のこととお慶び申し上げます☆
仕事の間に時間が出来たので、本日は孔子の論語について、
お話させて頂きたいと存じます☆
『子曰く、(しわく)君子は坦かに(くんしはたいらかに)蕩蕩たり。(とうとうたり)
小人は長しえに(しょうじんはとこしえに)戚戚たり。(せきせきたり)』
蕩蕩は、おだやかでゆっくりしている様子のことです☆
戚戚は、憂い(うれい)悩む様子のことです☆
修養を積んだ人は、心ができていて、細かい利害や得失などに気をわずらわすことがないので、
ゆったり構えています☆
心の修養をしていない人というのは、些細な利益のことや損失のことに、いつも心を奪われているから、
くよくよ、こせこせしているものだというのです☆
同じものを見ても、幸せを感じるか不幸を感じるかは、人によってそれぞれです☆
その感じ方の違いが、何によって差を生じさせるのかというと、心のもち方なのです☆
心のもち方一つで、人生をゆったり生きていくことができるのならば、小人として生きるよりも
君子として生きたいと思うのではないでしょうか☆
『論語』では、君子と小人がよく対比されて出てきますが、君子となれるものならば君子になりたいと
思う言葉が数多くあります☆
孔子の理想とする人は、完全無欠の聖人ですが、聖人になることが難しいとしても、
弟子たちは小人ではいたくないという思いを強くもって、
君子を目標として学問に励んだに違いありません☆
ワンポイントは、『修養を積んだ人間は細かいことを気にせず、つねに心が
ゆったりとしているもの』ということです☆
心のもち方で、幸か不幸か変わる人生について説いています☆
それでは、春陽のみぎり、お健やかな日々を過ごされますよう
お祈り致しております^_^
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